柳宗元の才能が開花した永州

柳宗元は追放された土地・永州でその才能を開花させた。
永州は中国湖南省にある。私は、ちょうど10年前に初めてそこを訪ねた。その時の私の旅日記をそのまま掲載する。
― 永州を訪ねて ―
柳宗元が囚われの城内から少しの自由を得て、目の前の瀟水を渡り旅游を開始してから、今年で(2009年秋)ちょうど1200年の時が流れた。私はその時期からは一か月遅い10月に同じ場所を訪ねてみた。10月だというのに愚渓はまだ秋を迎えていなかった。
瀟水を渡る

それは永州市の何という鎮から始まったのだったろうか。気がつくと窓外の景色が一変していた。零陵区が近づくにつれ俄かに大地の色が朱を帯びてきたのだ。家々の壁がうっすらと紅色を帯びている。畑の土も山肌もみな紅色だ。通り過ぎる店頭の看板も「紅」という文字が気になる。そういえば私が今日から泊まることになっているホテルの名前にも「紅」が付いていた。いったい、零陵の地層は遥か太古の昔どこからやってきたのだろうか?
店の看板に「永州」という文字が見え始めるとバスは突然砂利道に入った。何年この日を待ったことだろう・・・。何故ここに来るまでに何年も費やしてしまったのだろう・・。
人生には幾度か自分の生き方を左右してしまう書物に出会うことがある。私が柳宗元の文章に出会ったのは50歳を過ぎた頃だった。
日本人ならば柳宗元の「江雪」という詩を誰でもが知っている。しかしそれ以外の文章はほとんど知らない。私もそうだった。もしも20歳で子厚(柳宗元の字)に出会っていたらこれほどまでに影響を受けることはなかったかもしれない。ここに辿り着くまでに50年の歳月が私には必要だった、という事なのだろう。


そんなことをつらつら考えていると、いきなり視界に巨大な岩山が飛び込んできた。バスが近づくにつれ、目に前に黒曜岩のように黒光りのする岩肌が迫ってきた。それはむき出しになった地層の塊だった。折り畳まれ湾曲しあるいは屈折し巖壁は襲い掛かってきそうな迫力だった。
慌ててバスの窓から身を乗り出し仰ぎ見た。まるで巨人が手のひらで粘土のかたまりを折り曲げたかのように見える。・・・造物者というものは本当にいるのかもしれない。
胸が高鳴るのを必死で抑えていると、身体が大きく左右に揺れた。桂林の汽車站で買った茹で栗が薄い袋ごとバスの床に落ちてしまった。栗は左右前後に転げまわり拾わなくてはと頭を下げると、バスの床にはミカンの皮やラーメンのカップやらがまるでゴミ箱をひっくり返したかのように散在し、みな勝手気ままに転げ回っている。ここは中国なのだ。長年の生活習慣とは手を切らねばと決心し、何もせずに座席に戻った。
国道の拡張工事なのか、新設工事なのか、悪路はバスを唸らせる。固い座席に4時間も拘束され、もう疲れ果てていた。その時突然視界が開け、目の前に大きな川が見えてきた。見たこともないほどの大きな川だ!「ああ!」これが瀟水だ!


零陵の楼門をくぐるともうそこは永州市内だった。