李白には自然が良く似合う
幼少時代に認められた天賦の才能
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5歳で「六甲」を暗証 : 「六甲」とは春秋戦国時代に生まれた道教思想からくる天体観測のための仙術らしい。甲子、甲戌、甲申、甲午、甲辰、甲寅、を六甲という。それぞれ暗唱するほどの長い物語があったに違いない。今でも中国の武当山には「六甲神」が祭ってある。
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10歳で「諸子百家」を読む:「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子などの人物。「百家」は儒家、道家、墨家、法家などの学派のこと。

これは後に李白自身が語った事なので間違いはないと思う。こういう才能ある少年は「神童」と呼ばれる。父の李客は息子の才能を幼少時から見抜き、息子の教育のために唐の国を目指したということも考えられる。李客自身は商人として生活を支えるために、よりキルギスに近い蜀の清廉郷に移住したのかもしれない。李白が異民族の子孫であったという説を唱える学者も多い。
15歳で漢詩を作り、剣術を好み、各地を巡る
どうやら、李白は幼少時から「神仙」に憧れていたようだ。当時の道教思想の影響もあったようだが、その度合いは人並みではなかったのだろう。
李白は15歳になると家を出て自由奔放に暮らすようになる。勿論、これも出世するための第一歩だった。
《岷山の巣居》
岷山は今の成都近郊にある青城山のことで、ここに鳥の巣のように樹上に家を作り住んだ。数年はそこで暮らしたらしい。珍しい小鳥を千羽ほども飼い、呼べばみんな手のひらから餌をもらうようになり、李白を怖がることはなかった。綿州の太守がこれを聞きつけ、わざわざ棲家まで訪ねてきてお役人に取り立てようとしたが、李白はこれを断った。


有名な道教寺院を訪れては道士に教えを乞い、漢詩も作り始めた。この頃作った詩で特に有名なものがある。19歳の時に作った詩だ。
《 戴天山の道士を訪うて遭わず 》
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犬吠水声中 : 犬は吠(ほ)ゆ 水声のうち
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桃花帯露濃 : 桃花(とうか) 露を帯びてこまやかなり
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樹深時見鹿 : 樹深くして 時に鹿を見る
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渓午不聞鐘 : 渓(たに)昼にして鐘を聞かず
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野竹分青靄 : 野竹(やちく) 青靄(せいあい)を分かち
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飛泉挂碧峰 : 飛泉(ひせん) 碧峰(へきほう)にかかる
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無人知所去 : 人の去る所を知るなし
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愁倚両三松 : うれえて寄る 両三の松
(日本語訳)
犬が吠えている。まるで水の中で吠えているようだ。桃の花は朝露を帯びたので色がこまやかだ。木立が深いので時に鹿の往来するのが見える。渓谷では昼になっても鐘の音は聞こえない。野生の竹が青いモヤを分け、飛び落ちる滝が緑の峰にかかっている。 道士の行く先など知っている人はいない。悲しくなり立ち並ぶ松に寄りかかった
十代の頃感じた「清々しい朝の風景」という思い出は我々の過去の記憶の中に誰しもが持っている。衝動的に時間も気にせずに訪ねる、という行為は特に若い頃に良くやってしまうことだ。林の中に立ちすくむ李白の姿が目に浮かぶようだ。
つづく・・・。