
上の地図の水色に塗った川が「愚渓」。この愚渓が湘水と合流する少し手前に「鈷鉧潭」がある。
『永州八記』は、いよいよこの短い渓谷の形容に入っていくことになる。「鈷鉧」(こぼ)というのは「ひのし」のこと。小さなアイロンの事だ。昔は杓子のような形の鉄製のものに赤く燃えた炭を入れてアイロン代わりにした。「鈷鉧潭」とは「ひのし」の形をした「深い淵」のこと。
『鈷鉧潭記』【こぼたんの記】
鈷鉧潭は西山の西にあり、始まりは冉水が南から奔流してきて、山の石にぶつかり、屈折して東へ流れてきたものである。山頂の水は勢いも激しく急峻な流れとなり、小石を巻き上げ洗いすすぎながら益々暴れ、川岸を噛む。
そのために、一方が広く中も深くなり、流れは石に当たってようやく止まる。そこで流れは泡を作り輪と成り、その後にゆっくりと流れる。
水が清らかで平らな潭は、十畝ほどだろう。樹々に取り囲まれており、泉がそこに水を注いでいる。
その潭の上の方に住んでいる者がある。私が時々遊びに来るのを見て、ある朝私の住まいの門を叩いてこう告げた。
役所の租税や借用書が積み重なって耐えられないので、既に山を刈り取り住まいも変えた。潭の上の田んぼをお金に換えて、咎を緩めたい、と。私は喜んでその言葉通りにした。
それからは、見晴らし台を高くし、手すりを引き延ばし、泉を高い所にやって、そこから潭に落とした。すると水の流れ落ちる音が聞こえるようになった。中秋に月を眺める時にもっとも宜しいかと思う。
これでもって、天が高く、気が遥かなのを見ることができるようになった。誰が私を、このような異民族の地にいることを楽しませて、故郷を忘れさせてくれるのだろうか?それはこの潭ではないだろうか。
《現在の鈷鉧潭までの景色》




つぎは ③-『鈷鉧潭西小邱記』につづく。
参考文献リスト
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『唐宋八大家文読本』二 星川清孝著 平成4年第9版(昭和51年初版)明治書院
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『柳宗元 永州山水游記考』 中国山水文学研究・其一 戸崎哲彦著 1996年 中文出版社