地図:小石潭は鈷鉧潭からすぐの所にある。
いよいよ、「最もすぐれた文章」であるとして評価されている作品の紹介です。短い文章ですが、とても美しい文章です。
『至小邱西小石潭記』
(しょうきゅうのにし、しょうせきたんにいたるのき)

小邱から西に行くこと百二十歩、竹やぶの向こうから水の音が聞こえ、それはまるで帯玉を鳴らすような音である。私の心はそれを楽しんだ。
従小邱西行百二十歩、隔篁竹聞水聲、如鳴佩環、心樂之。
竹を切って道を作り、下っていくと小さな潭(ふち)が見えた。水がたいへん清く澄んでおり、潭の底はすべて岩になっている。
伐竹取道、下見小潭、水尤清冽、全石以為底。

岸に近い所の石の塊は、水の底から顔を出し、小さな中洲となったり小島となったり、岩となったり大岩となっている。
近岸巻石、底以出、為坻為嶼、為堪為巖。
青々とした樹木と緑のツタは、覆いかぶさり絡みつき、木々が揺れるとツタも連なり、高く低く長く短く、木々が風になびくとツタも払うように揺れる。
靑樹翠蔓、蒙絡搖綴、蔘差披拂。

潭の中には魚が百匹ばかりもいて、みな空中に遊んで身を寄せる所がないかのようだ。日光が下まで透き通っているので、水底には魚の影が広がっている。楽しげに動かないでいるかと思えば急に遠くに行ってしまう。その往来のさまは俊敏で私達遊ぶ者と一緒に楽しんでいるかのようだ。
潭中魚可百許頭、皆若空游無所依。日光下徹、影布石上。怡然不動、俶爾遠逝。往来翕忽、似興游者相樂。

潭は西南から眺めると、北斗星が折れ曲がり蛇が蛇行しているようであり、草木の間からは見えたり見えなくなったりする。岸の形勢は犬の牙のように食い違い、その先はどうなっているのか分からない。
潭西南而望、斗折蛇行、明滅可見。其岸勢犬牙差互、不可知其源。
潭のほとりに座ってみると、四面は竹や樹木が取り巻き、寂寥として人影もない。心寂しく骨までぞっとして、悲しく痛ましい気持ちになり、穴の奥に入ったように奥深い所である。
坐潭上、四面竹樹環合、寂寥無人。凄神寒骨、悄愴幽邃。
その場所のあまりに清らかすぎるために、長く居ることが出来なくなった。その為にこれを書き記して去ったのである。今回共に遊覧したのは、武陵県令の呉龔古(ごきょうこ)、弟の宗玄(そうげん)、共に付いてきてくれたのは崔氏の二人の若者で、恕己(じょき)、奉壹(ほういつ)と言う。
以其境過清、不可久居、乃記之而去。同游者呉武陵龔古、余弟宗玄、隷而従者、崔氏二小生、曰恕己、曰奉壹。
挿絵について
柳宗元の味わい深い表現力を補う意味で、数枚の挿絵(写真)を挿入してみた。現在の小石潭の風景はその時代とは似ても似つかない状態ではあるが、若干は面影が偲ばれると思う。また「モネの庭」とりわけ彼の作品の「睡蓮」の風景が重なるものがあり、引用してみた。
漢文というのは本当に不思議な文章だ。わずかこれだけの数の文字で名作と言われる情景を生み出す。現代の中国語は簡略化され、既に使用されていない文字ばかりだが、昔の漢語には溢れんばかりの文字があった。それを自由自在に操ったのが柳宗元である。
ちなみに、私の書いた掛け軸をご覧下さい。私が大好きな文章「至小邱西小石潭記」です。
次につづく。