

地図:①の地図は左ページが愚渓を中心に収まっている。右ページが「永州八記」後半に出てくる景勝地が載っている。
地図:②はそれを拡大したもので、右の赤い印が「袁家渇」のあった場所だ。「渇」とは水流がなく、水が少なく、乾いているという意味のようだ。

『袁家渇記』【えんかかつの記】
冉渓から西南に水路を行くこと十里の間で、山水の取って見るべきものは五つあるが、鈷鉧潭に越したものはない。渓の入り口から西方に、陸路を行く間に取るべきものは八、九あるが、西山に越したものはない。朝陽巖から東南方に水路を行って蕪江までの間に取るに足るものは三つあるが、袁家渇に越したものはない。これらは皆永州の中で人里離れた麗しい優れた場所である。
楚越の地方の方言で、水の戻り流れるのを渇と言う。音は衣褐の褐と同じである。渇の上流は南館という高い峰と合流し、下は百家瀬と合流し、その中間に幾重にも重なった洲(なかじま)、小さい谷川、澄んだ潭(ふち)、浅い渚が交じり合っている。
その平らな流れは深く黒い色をして、勢いの激しい流れは沸いて白く見える。舟の行く先が窮まるようであって、急にまた果てなく広がるのであった。
小山があって水中から出ている。山は皆美しい石で、上には青々と雑草が茂っている。冬も夏も常に茂っている。その傍らには巌の洞窟が多く、洞窟の下は白い小石が多い。
樹木は、楓(かえで)、楠(くすのき)、石楠(しゃくなげ)、楩(くす)、櫧(かしのき)、樟(くす)、柚(ゆずのき)が多い。草には蘭や芷(よろいぐさ)、他にも珍しい草花がある。合歓の木の種類なのか、ツタになって水や石に絡みついているものもある。
風が四方の山から吹き下ろして来るたびに、大木を振動させ、繫茂する多くの草を不意に襲う。紅い花びらが緑の葉に紛れ込み散り乱れ、盛んに香気を放っている。風の所為で突き当たる波が浅瀬で旋回し、退いては渓谷に溜まり、繫茂する草木を吹き上げ、時と共にいつまでもこれが繰り返される。
袁家渇はおおむねこんな状態であるが、私が全てを極めたわけではない。永州の人はまだここで遊んだことはないだろう。私はここを発見したが、今回は自分だけのものとはしないでおこう。世に伝えるようにしようと思う。この土地は袁氏が主人なので、よってその名を名付けた。
《現在の「袁家渇」》



A)の写真の右上にはダムが建設されており、ダムのすぐ横に B)の状態が残っている。C)の写真はB地点から撮影したもの。昔はこの一帯が繋がっていたのだろうか?。
A)の左側は現在は採石場になっている。私が見たのは10年前の事なので、今もたぶん同じ状態だと思う。
